[ことこと書日記 vol.20]「仁慈隠惻」(「千字文」より)

ことことと、日々を煮込むように。
10月6日満月、寧月のことこと書日記第20回をお届けします。

夏、久しぶりに千字文の臨書をしました。
石橋犀水氏による行書千字文です。

千字文は、中国で作られた漢字・書道の教科書のようなもの。
日本でも奈良時代には伝わり、宮廷貴族から武士、
江戸時代には寺子屋で学ぶ庶民にまで、広く書かれていました。

私はこの千字文が大好きで、はじめて千字書ききったときの感動が忘れられず、
その愛情(?)から、百字文を作ってしまったくらい。
千字文は書く度に発見があって、いつも書き続ける喜びを感じさせてくれます。

この夏、久々の臨書で見つけたのは、「仁慈隠惻」という言葉。

寧月書「仁慈惻隠」

寧月書「仁慈惻隠」

「千字文」(岩波文庫 小川環樹・木田章義注解)によれば、
<仁慈>は、なさけをかけ、いつくしむこと。
<隠惻>は、あわれむこと、惻隠(そくいん)に同じ。 
と紹介されています。

惻隠の情。

あわれみという言葉がわかりやすいかどうか、
簡単に言ってしまえば、「弱い者に対する思いやりの心」のことです。

もう10年くらい前になるでしょうか、
藤原正彦氏の「国家の品格」という本がベストセラーになりました。
この本の中では、こんな風に書かれている箇所があります。

「新渡戸稲造は武士道の最高の美徳として、
『敗者への共感』『劣者への同情』『弱者への愛情』と書いております。
まさに『惻隠』をもっとも重要視しているのです。…(中略)…
惻隠は現在のような市場経済による弱肉強食の時代においては、
特に重要な徳目だと思います。」

学校ではいじめの問題が叫ばれて長く、
ニュースでは毎日どこかで○○ハラスメントという言葉を耳にする。
そんな今の日本を見たら、
武士たちは「なんと卑怯な」と思うのかもしれません。

強い者は、弱い者をいたわり、守る。

そんな日本人の単純な倫理観が、
今、もう一度、大切になってきているように思います。

千字文は、ただの漢字の教科書です。
しかしその中には、こういった大切な教えが含まれています。
ひたすら漢字を書く作業を通して、自然と、
こういった倫理観を身につけていく。

書道とは、字を上手に書けるようになること、ではなくて、
そういった教養や倫理を身体化していくことなのだと、
あらためて感じた夏でした。

 

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