大雨となった先週金曜日。
目白にある日本女子大学の、生涯学習概論という講義にて、ゲストスピーカーとしてお話をさせていただきました。東京大学教育学部時代の同級生、荻野亮吾准教授にお招きいただいた形です。
テーマは、「書道教室という『居場所」のデザイン」。
さて、教育学部時代不登校問題をテーマに学び、「居場所を作りたい!」という思いから社会人スタートを切った私ではありましたが、、、書道教室を作ろう!と思った23歳から、気づけば17年。「居場所づくり」のために始めたはずの書道の勉強が、あまりにも奥深く、難しく、時間がかかり、、、気づけば、“ミイラ取りがミイラになる”ではないけれども、「居場所づくり」という言葉を忘れるほどに、ただ、書道を学び、教えることで満足という状態になっておりました😅
そんな私に突如与えられた、今回のこの講義。これは、私にとって、私の原点を思い出させてもらえる良い機会となりました。
そして、一風変わった書道教室と私の紆余曲折の人生譚が興味深かったのか、学生さんたちの反応がとても熱く、終了して数日経った今も、感想を読ませていただいては胸が熱くなるような、そんな講義となりました✨
書塾花紅は2016年にわずか5名からスタート。現在は、小学1年生から70代までおよそ80人が学ぶ、地域の学びの場となっています。
そんな書塾花紅が、今、「居場所」としてどのような役割を果たしているか、また、どのような経緯があって、今の形になったのか、その“物語”を語らせていただきました。
その後は、「多世代コミュニケーションの経験を話そう」というディスカッションを。アルバイトやかつての習い事でのさまざまな経験談が飛び交い、とても楽しいディスカッションとなりました。同じく、「私も書道教室で、かつて一緒に習っていたおばさんと友だちになっていました」というお話も聞くことができました。
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後半は、荻野先生の講義の中でリンダ・グラットンさんの「LIFE SHIFT」を紹介し、学生さんそれぞれが自分の人生を俯瞰してみるという学習をしたという話を伺っていたので、私の「LIFE SHIFT」を紹介する形に。
私の人生は、そんなつもりはありませんが、周りから見ると非常に「波瀾万丈」に見えるようで😅。プライベートも何ひとつ隠すことなく、お話をさせていただき、学生さんたちには「それでも生きていけるのか!!」と言った感動を与えることができたようです。
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「寧月さんへ質問です。 寧月さんは一年足らずで退職したり自宅を書塾にしてみたりとたくさん新しいことに挑戦されていますが、上手くいかなかったらどうしようというような不安はないのでしょうか。また、新しいことに挑戦しようと気持ちを強く持てるのはなぜですか」
という、私にとっては、最高の褒め言葉のような質問。ありがとうございました。
不安でないということは全くなく、特に仕事を辞める時はとても不安でしたということ。それから、決断をするときは「流れに任せる」ことが大切で、自分だけの気分で決めるのではなく、「流れ」を見て決めるようにしているということ、その「流れ」を見るために、書道を通じて学んだ東洋思想や瞑想の習慣がとても役に立っているという話をさせていただきました。
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あっという間の、100分の講義。たくさんの熱い感想をいただいたので、最後にいくつか紹介させていただきたいと思います。
書塾花紅を学生さんたちの視点から見ていただくと、こんな言葉になるんだ!という驚きと感動に満ちた言葉たち。さすが教育を学ぶ学生!という感じで、学ばせていただくことも多々ありました。私たちの宝物です✨
荻野先生、日本女子大学のみなさま、今回はありがとうございました!もしお時間あれば、いつでも書塾に遊びに来てくださいね!生徒さんたち、大歓迎してくれると思います☺️
<日本女子大学の学生さんからいただいた感想>
寧月さんが強調された「学ぶことは自分が決める」という考え方は、学びの主体性と自己決定の重要性を示しています。学生たちが小さな対話から自分が書きたいと感じることを見つけるプロセスは、個々の興味や好奇心を尊重するアプローチだと思いました。
私は、寧月さんの話で、「自分軸で」という言葉が特に印象に残った。私は今まで、人からどう思われているのかを気にしてしまうことが多かった。
どんな生き方をしても、なるようになるのだなと思いました。
私は小学生2年生から中学3年まで書道を習い、高校では書道部に入り、呉昌碩の行書や玄宗の隷書を書いていました。(中略)特に印象に残ったのは、書塾花紅の生徒さんの取り組む作品の多様さでした。大人が近くにいるからこそ、幼いうちから大人を見習い古典作品に触れることができていると思います。また、書道は学校の書写の時間に行う楷書、行書(かな)だけではなく、隷書、篆書、篆刻があること、また古典作品による書風の違いを知らず知らずのうちに知ることができているのではないでしょうか。私の場合は高校の部活で初めて古典作品の臨書をし、それぞれ書風の面白さを知りました。逆に、それまで知りませんでした。
柳緑花緑真面目、人は誰しもクリエイティブ、学ぶことは自分で決める、子供と大人が学びあうなど、素敵な言葉をたくさん知れた。
寧月さんは正座をして書道をするとおっしゃっていたが、東洋思想を大切にしているのだと感じた。現在、西洋の生活がほとんど馴染んでしまっているので、そのようなことを大切にしていることは良いことだと感じた。
寧書に限らず芸術作品はしばしば作者と乖離してしまう感覚があるが、作者が日頃から交流する人物であることで、その人の顔が思い浮かぶほどの、作品と作者本人の距離の近さは想像以上の強みを持つのではないだろうか。作品がそのまま身近な他者との対話法になる安心感は計り知れないものだろう。
話の最後で言われた「流れに任せる」ことが大切だという言葉がとても心にささりました。流れに任せるというとなるようになるで運任せのようなどこか自分の人生に無責任のような感じがしていたけれど、ここでいう「流れに任せる」とはそのような意味ではなくて自分が出来るというような確信をもちながら、周りの意見や環境もその方向に向かって流れた時に流れに乗るということだと分かり、私もこれだ!と思った機会は止まって考えるのではなく一歩を踏み出して流れに乗ってみようと思いました。
書道など何かを表現する芸術作品は、誰かの評価が付き物だと思っていたため、”評価しない”書道は新しく、とても現代に合っているなと感じました。評価しないことで、評価されるためという目的が排除され、本当に自分が表現したいものを作るためという目的が自然と生まれ、納得のいく作品を出せるのかなと思いました。
私何歳になっても悩んでもいいのかなと思った。
生きたいように生きるのが人生。やりたいことはやってみよう。私は今日の講義でそんなふうに思えるようになりました。
自分だけレールから外れて人と違うことをするということは不安だし恐怖を感じると思うけど、自分のやりたいことをしている人は輝いてみえると思いました。
高校の芸術選択で書道を取っていたのですがなぜ芸術なのに評価をつけるのか疑問に思っていたので評価のない作品展を行っているという話を聞いて一人一人の個性を伸ばすことができる良い方法の一つだなと思いました。
生涯学習は人にやらされる感があっては続かない。これと同様に、習い事であっても人にやらされている感があっては、やる気は上がらず、長続きしない。生徒さんがやりたいことをできる環境をつくり、それを肯定してサポートしていくと方式を取っていたからこそ、生徒さんは内発的動機づけに基づいて書道に打ち込めていたのだと思う。