【書道と教育】 vol.13 書道と子ども



書塾花紅を始めてから丸3年が経とうとしています。

蘇軾の詩より「柳緑花紅真面目」の言葉を借りて、子どもたち一人一人があるがままに創造性を発揮できるような書塾にしたいと始めたこの書塾ですが、正直なところ、始めた当初は、どのように子どもたちの創造性を引き出していけばよいのやら、よくわかっていませんでした。

「枕草子」を使って四季折々の変化を感じてみたり、古典の暗唱を取り入れてみたり、試行錯誤しながら進んできたこの3年。それが今、3年経って、子どもたちの中からそれぞれの個性、創造性が湧き出でてきているのを目の当たりにして日々感動しています。

なかなかブログに書くことができずにきましたが、この子どもたちの創造性については、きちんと記録しておく必要があると思い、これから少しずつ、書塾花紅の子どもたちに起こっている、それぞれの探求活動についてお伝えしていきたいと思っています。

感じているのは、「子どもはすごい」ということです。子どもたちは、大人が思うよりもずっと、専門的なこと、意味の深いことに惹かれ、探求する力を持っています。

ひらがなの元になった漢字を推測中。

ひらがなの元になった漢字を推測中。

次回以降、面白い探求活動をしている子どもたちを紹介していきますが、その前に、私が日頃感じている、世間一般の理解と書道の世界のギャップについて、簡単にお話しさせていただきます。

「書道」という言葉を聞いたときに、多くの日本人が「字が上手くなること」、を想像します。かつての私もそうでしたので、これはとても自然なことです。

しかし、書道の世界に深く立ち入ってみると、書道というのは決して「字が上手くなること」を目的としているのではないということに気づかされます。もちろん、字もきれいになるのですが、書道の目的というのはそんなところにあるのではないと感じさせられるのです。

一般的なこの、書道に対する誤解は、小・中学校の国語の教科の中に位置付けられている「書写」というものを、「書写」=「書道」 と認識してしまうことから来ているように思います。「書写」は確かに、きれいで読みやすい文字を書くことを目的としているところが大きいからです。

「書写」は書道の一部であって、それは「書道」全体ではありません。書道とは、中国に発生した漢字が、篆書、隷書、そして、草書、行書、楷書へと変化を遂げ、それがさらに日本に入って“かな”となり、人々の暮らしの中に、時には政治的な判断を含んで、移り変わってきたその歴史を、実際に書いてその美しさを感じながら学ぶ、そんな世界です。「書写」があくまでも現代に私たちが使っている文字だけを扱うことに比べて、いかに書道の世界が広いのか、4000年という時間を考えるだけで、想像できるものと思います。書道の世界は、ものすごーく、広いのです。

「龍」を五体(篆、隷、草、行、楷)で書いたもの。小4男子書。

「龍」を五体(篆、隷、草、行、楷)で書いたもの。小4男子書。

書塾花紅は、大人と子どもが、共に席を交えて学んでいます。子どもたちは書写的な手本を使って段級の取得を目指しながらゆっくり進んでいますが、王羲之の「蘭亭序」や空海の「風信帖」を臨書する大人を横に見ることで、自然と古典に馴染み、興味を持っていくことに繋がったのでしょう。今、大人も驚くような古典の探求活動を始める子どもたちを目の当たりにして、「小学生でもそんなところに興味を持てるのか!」と、私自身、本当に驚いています。

“子どもには子どもに合ったもの”をという発想もあると思います。けれど、子どもというのは実はとても敏感で、本物を見抜く力を有しています。現代の文字だけを扱った書写の手本だけでは、満足しない子どもがいるのです。文字の歴史を、何千年と受け継がれた美しい文字を見せることで、その才能を開花する子どもたちが、確かにいます。

これから、書塾花紅の子どもたちの探求の様子をお伝えしたいと思います(相変わらずブログはたまにになってしまうと思いますが、必ず書きますので待っていてくださいませ笑)。

自由研究で百字文を完成させた二人。左は楷書、右は篆書の「探遊外界」。

自由研究で百字文を完成させた二人。左は楷書、右は篆書の「探遊外界」。

 

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