書と向き合う日について(書塾生レポート6)

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みどり 臨書 鄧石如 篆書白氏草堂記

私が書塾花紅でお世話になってから、早いもので約3年半が経ちました。作品展に出展するのももう4回目と思うと、感慨深いものがあります。文章を書くのは苦手ですが、先生からせっかくのお話をいただきましたので、作品展の思い出を中心に振り返ってみたいと思います。

そもそも私自身、書とは縁遠い人生を送ってきました。小学生のときから「元々字が汚いんだからしょうがない」と変な開き直りをし、書初めもとりあえず提出するだけ、と不真面目な態度を貫いていた記憶があります。

そんな私ですが、現在都内のある建設会社で総務・人事の仕事をしております。なんでもやるのが総務の仕事ですが、稀に会社名での香典袋を準備することがあります。以前はとても字が綺麗な先輩がおり、そのような仕事も専らその方にお任せしておりましたが、あるときその方が異動することとなりました。その時に「これからは私が香典袋に社名を書かなければならないのか」と愕然としました。会社を記すものとなるそれは、やはり字が汚ければそれが会社のイメージに直結してしまうと思いました。

そのとき初めて、この汚い字をどうにかしなければならないと発起し、書塾花紅の門を叩きました。こちらは、家の近所で通える教室が無いかとネットで検索して、知りました。蓮月のお店自体は以前から知っておりましたが、その中で書道ができるというのは初めて知り、なんとも趣があるなあと思いました。

みどり 創作「凌霄花(ノウゼンカズラ)」

みどり 創作「凌霄花(ノウゼンカズラ)」

そうして通い始めた教室ですが、まず教科書を購入させていただき、豊富な書体のバラエティに驚きました。学校の書道しかやってこなかったので当たり前ですが、楷書のイメージしかありませんでした。それとともに、同じものを書くにしても、書体によって雰囲気が変わることに非常に興味が惹かれました。元々絵画は好きでしたが、書もアートなんだなあ、と当たり前のことを思いました。

また、先生から書きたいものを書いてくださいと仰っていただき、初めは少し戸惑いました。とはいえまずは基本から、と九成宮醴泉銘の臨書からスタート。正確無比な文字は、少しでもバランスが悪くなると途端に崩れて見えるので、とても難しかったです。それでもお手本を見ながら、こういうきっちりとした文字に寄せていくことは、性格的には向いていたようで、なんとか取り組むことができました。

そんな中いただいた作品展のお話、折角なので書きたい文字を書くことにしました。それが「凌霄花(ノウゼンカズラ)」です。夏にラッパのような形の鮮やかなオレンジの花を咲かせる、植物の名です。正直、このような字を書くとは知りませんでしたが、凌霄(りょうしょう)とは、「空(=霄)をしの(=凌)ぐ 志の高いさま」であり、つるが木にまといつき天空を凌ぐほど高く登るところからの命名のようです。空に向かって力強く咲く花にぴったりの名だと思いました。初めての作品で、下手くそで直視に耐えられませんが、思い出深いものになりました。

みどり 創作 安穏無事

みどり 創作 安穏無事

翌年の作品展は、本当に書きたいものが分からずずっと苦労しました。臨書も良いのですが、せっかくなので前回作品展が終わってからずっとやってきた行書で、好きな文字を書きたいとは思っていました。この年は個人的に身の回りに色々なことがあり、何もない心穏やかな日常も大事なのだと思わされた年でした。そこで湧いて出てきた「安穏無事」。書としての出来は良くはありませんが、自らの心の声を反映するツールとしての書には、少し近づけたような気がします。

これ以降、普段の教室で仮名文字を勉強し始めました。漢字のかたちから、どこをどうして仮名文字のかたちになるのかを解明していくのはとても興味深く、いろはから始めて一通りの文字にじっくりと向き合いました。先生にも「研究に近いですね」と背中を押していただけたことも、続けられた要因だったと思います。

そして、3回目の作品展はこれを応用して平家物語にチャレンジすることにしました。元々、私は源平合戦をモチーフにした手塚治虫先生の「火の鳥 乱世編」が子供の頃からとても好きで、それがきっかけで学生時代日本史にのめり込んだこともあります。平家物語も高校の頃、現代語訳を読みました。栄華を極めてもそれは必ずいつか終わりを迎え、長い人類の歴史から見るとほんの一瞬でしか無いという真理には、今でもロマンを感じます。それを端的にリズミカルに語る平家物語の序文は、いつか書いてみたいものの一つでした。

これまでであれば何と書いてあるか全く分からなかったお手本も、仮名文字と向き合ったからこそ、何がどう書いてあるのか分かるようになりました。今までと違い、多くの文字を書くことには苦労をしましたが、それでも一枚の紙にみちみちに文字を書くことは憧れでもありましたので、書き上げたときの達成感は格別のものがありました。課題はありつつも、これを書いたことで自分の多少の自信には繋がりました。

みどり 臨書 平家物語江戸写本

みどり 臨書 平家物語江戸写本

そして今回。教科書を初めて読んだときから篆書は気になっていました。デザインのような同じ太さ、同じ長さのこの書体は、文字としてとても可愛いと思っていました。前回の作品展が終わって、結構早い段階から挑戦しておりましたが、これも書いていてとても楽しく、鄧石如の臨書には集中して取り組むことができました。そして先生から「半切で書いてみても良いと思いますよ」と言っていただいたことをきっかけに、作品展は今までに無いチャレンジをすることにしました。

書き始めてもいつもの教室の1.5時間では最後まで書ききれず、また床に直に紙を置いて跨いで書くことで、膝、左手は体重がかかって真っ赤になり、股関節は翌日必ず筋肉痛になりました。書道は全身でやるものであると、身をもって理解しました。それでもなんとか書き上げたとき、最早ほっとする境地でした。落款も初めて名前以外も記すことができ、雰囲気が出たのではないかと思います。

みどり 臨書 鄧石如 篆書白氏草堂記

みどり 臨書 鄧石如 篆書白氏草堂記

このように振り返ってきて思ったのは、大人になってもまだまだ初めて知ることもたくさんあれば、初めての体験もたくさんできるのだな、ということです。思い切って今までと違うことにチャレンジしてきて、それを学ぶことができたのは大きな財産であると思います。同じような生活が続いていた私でも、月に2回、1.5時間正座をして文字で何かを表現する場があることが、気分転換にもなっています。

また、先生の指導を拝見していて、柔らかい態度ではいらっしゃっても、どんな子に対しても礼儀ありきで接せられていること(基本的なことではありますが、挨拶はきちんとする、ありがとうと言葉にする等)や、日本の古典に触れる機会があること(いろはから始まり枕草子等の暗唱まで)も、とても素晴らしいと感じております。私も子供の頃から通っていれば、もっと真っ当な人生だったかもしれないと思います(笑)。

まだまだ文字は下手くそで、当初の通い始めた目的すら果たせていません。少しずつでも前進していけるよう、それができたら書で自らを表現することができるよう、精進していきたい所存です。寧月先生、引き続きのご指導よろしくお願いいたします。

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みどりさんへ

レポートとても楽しく読ませていただきました。いつも寡黙で無駄なおしゃべりはされないみどりさんが、こんな人生を歩み、その人生にこんな風に書道を取り込んでくれていたとわかり、とても心があたたかくなりました。

はじめは何を書いたら良いかわからないという様子だったみどりさんが、少しずつ古典の奥深さ、面白さに目覚め、変体仮名の「研究」を熱心に続け、そして「平家物語」を書き切ったときの感動は忘れられません。そして今年も、肌に合っている篆書というものに臨み、丁寧に丁寧に仕上げてくださいました。熱量のあるとても良い作品だと思います。

みどりさんの世界は非常に豊かなものと感じています。ぜひ書道を続けて、作品を作り続けてください。(平家物語で小筆の鍛錬がされたので、香典袋はきっともう書けるはず!)

寧月