書道は面白い(書塾生レポート15)

文字を書くことだけに集中できる時間。
なんだかわからないけれど、楽しい時間。

自分の文字が少しずつ上手になっていくことが確かに分かるので、嬉しいです(まだまだ未熟ですが)。幼い頃、ピアノやそろばんを習っていたので、上達していく嬉しさは同じではあるのですが。。。今回は何か少し違うようです。

私の場合、そのときの心のコンデイションが文字に表れてしまいます。忙しさに追われている時はうまくいきません。

日常の生活の中で見ている文字は楷書体が多く(仕事柄)、目指すは教科書に書かれているような美しく整った文字を書けるようになりたいというのが私の当初の思いだったのですが・・・。
教室に通うようになってかれこれ5年が経過し、その他の書体も書けるようになったら素敵だろうなと思うようになってきた今日この頃です。特に隷書は可愛らしく。

思えば、小学校から中学までの恩師や身近な友人は、なぜか揃いも揃って美しい文字を書く人たちばかりだったなあと。

作品展

小筆の作品にも挑戦しましたが、繊細な筆遣いが難しすぎて大変でした。大筆もイマイチで、とにかく手本のように書きたいのですが、うまくいきません。〔月に2回しか書かないわけですから・・・)
さらに、ダイナミックさ、大胆さに欠けていることが私の弱点で。今後の課題だと感じています。
昨年書いた作品〔マザーテレサの言葉)は、自分への戒めと思いながら書きました。

今後・・・

とにかく美しく整った、滑らかで素敵な文字を書けるようになるためにコツコツ楽しく続けていきたいと思っています。何事も修業ですね。
寧月先生との他愛のないお話をできることも楽しいですし。。。

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敦子さんへ

敦子さんの中のいろんな敦子さんが現れたり、消えたり、また出てきたり。

敦子さんの書く文字を見ながら、決して単純明快ではない敦子さんという存在、どちらに進んでいくのか想像がつかない面白い存在として、眺めさせていただいています。
敦子さんにとっては書塾花紅の時間そのものが、「自分探し」になっているのだろうと感じています。

人間というのは生まれ持ったもの、育てられたもの、社会での役割、多様な文脈で、様々な自分を抱え込むものですから、そのどれが「本当の自分」ということもなく、「すべてが自分」ということなのでしょう。

決して隠さない、偽らない、素直である敦子さんの存在は、私の見えないところでも、たくさんの子どもたち、大人たちに光を与えているものと察します。書道を通して、敦子さんの自己探究がさらに深まり、さらに多くの人たちの光となれば、私もとてもうれしいです。これからもたくさんおしゃべりしながら書いていきましょうね。