ことことと、日々を煮込むように。
11月18日新月、寧月のことこと書日記第23回をお届けします。
本やマンガには、読むべき“時”があると思いますが、
満を持して、私はこのマンガとの再会を果たしました。
手塚治虫「火の鳥」。
トラウマと言ってもいい。
幼い頃、たぶん幼稚園のときか小学校低学年のときに、
NHKアニメ「火の鳥 宇宙編」を見て、
その恐ろしさから何日も眠れずに過ごした記憶は今でも鮮明です。
しかし「火の鳥」はいつもなぜか私の側にあり、
気づけば家族の誰かがマンガ全巻を揃え、それを娘が発見して、
私の目の前に並べるようになりました。
そして。
恐る恐るパラパラとめくった「太陽編」。
そこには、私が知りたいと思っていたことが、
いくつもいくつも、書いてあった。驚くべきほどに、謎を解き明かすように。
手塚治虫さんという巨匠は何もかも知っている。そんな気がしています。
昨日、娘は言いました。
「『火の鳥』を読むと、命が何かわかる。」
日本の歴史と日本の未来が交互に描かれていく作品構成。
人が作った歴史に真っ正面から挑む勇敢さと、
人間の文明の行く先を考え尽くす創造力。
宗教と信仰の違いを解き明かし、
人間の不思議、宇宙の不思議を的確に捉え、
人としての生き方を指し示してくれる書物は、
全世界を探してみても稀ではないでしょうか。
まして、日本人なら、このマンガを差し置いて読むべきものはないのでは、
とすら、思ってしまう力があります。
選んだ言葉は平清盛を描いた「乱世編」。
「鳳凰編」の主人公とも言える我王の最後の言葉です。
人間が、ただ太陽のように生きることができたなら。