寧月、10歳になりました!

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2010年7月に、自分に「寧月」と名づけて、拙いながらにホームページを作りました。それから、10年!何と、10年!!!

これはすごいことですね。自分で言うのも何ですが、これはすごいことです笑!!

だって、私は幼い頃に書道を習ってはいたものの書道専門の大学に進んだわけでもなく、一度普通に就職をし、働き始めてから「書道の道で生きてみよう」と、恐ろしく無謀な挑戦をした人間だからです。

modern zen art/ インテリア書「歩」

私が生き延びてこられたのは、この「歩」があったから。最初に作った私のこの作品は、不思議と多くの方の目に留まりました。今でも、年に何回かは「これと同じものを書いて欲しい」とオーダーを受けます。書道のスキルは全く足りなかった寧月が開業してすぐにお仕事を得られたのは、ただこの「歩」のような”センス”を求めてくれる人がたくさんいたから。感謝しかありません。

さて、今にして振り返って、「ああ〜、この10年は必死だったなぁ」と思います。長女が11歳、長男が8歳ですので、この10年は子育ての一番忙しい時期とも重なっていました。人生メチャクチャな10年でした笑。でも、だからこそ、必死でしがみついてきたからこそ、今の寧月があります。

一緒に書いてみようか。(小学校書き初め)

一緒に書いてみようか。(小学校書き初め)

そもそも、私は教育の道を生きている人間です。教育学部に進み、フリースクールで不登校の子どもたちから「表現することの大切さ」を学び、またそのことを伝えていく人間になりたいと思っていた学生の頃。私自身、極めて自由な人間で幼い頃から学校不適合な部分があり笑、学校現場で教育者になる自分が想像できなくて、迷った末に一度は大手企業に就職をしました。

そんな私が、急遽会社を辞め、書道の専門学校に通い直したのは23歳の時。就職して1年も経たずのことでした。あの頃は無我夢中で、友人や家族に理由を問われても自分自身気持ちの整理がついていませんでしたが、今、はっきりと感じられるのは、一人の親友の死に直面したことが、私を動かしたということです。

高校時代の親友は、22歳の時、白血病でこの世を去りました。教育の道を志した同士でした。就職直前の3月、彼女が亡くなる3ヶ月前、”とりあえず”な感覚で就職する私は、病床の彼女に「本当にそれでいいの?あなたにできること、やらなきゃいけないことは他にあるんじゃないの?」とすごい剣幕で問いただされました。春に彼女が亡くなった時には仕事で葬儀にも参加できず、それからの私はしばらく、頭も心も、ぐるぐるといろんなことを考えていたのだと思います。

今、書塾で子どもたちと向き合う日々を得られている私を、きっと彼女も遠くから見ていてくれることと思います。喜んでくれている彼女の姿が目に浮かびます。

思いが届きますように☆

思いが届きますように☆

必死で生きてきたこの10年。指導できる立場になるにはと、与えられた仕事はどんなことにも挑戦してきました。恥じもかいてきました。でも、だからこそ、今、一通りのやるべき挑戦はできたという感覚があり、これからは指導することに専念できるだろうと思える自分がいます。コロナウィルスで引きこもった今年の春は、振り返りのタイミングにもなり、これからは一過性のイベントなどはあまり引き受けず、書塾の生徒さんたち一人一人を大切に、私の限りある時間とエネルギーを使っていきたいと考えているところです。

10年前は10年後の自分が想像もつかなかったけれど、今は、10年後も書塾の生徒さんたちと一緒に書道をしているだろう自分が、何となくにも想像することができます。ずっと、生徒さんたちと一緒に書道をし続けることができれば、私は本当に幸せなんだろうと思います。書塾花紅に集まってくれた生徒さんたち、私にたくさんのことを教えてくれ、幸せを分けてくださる素晴らしい仲間に、心から感謝です。

筆文字タイトル「悠久の刻」

そして、これからも、少しずつでも、自分に与えられた創作活動を続けていきたいと思います。私の人生に与えられた、喜び、悲しみ、すべての出会いに意味があり、少しずつでも磨かれてきた私の魂をもって、幾ばくかでも誰かに何かを感じてもらえる作品を作ることができたなら、私は、この宇宙で私に与えられた役割を全うして生きていると言えるのでしょう。

10年間がんばった私よ、おつかれさま!10年間あたたかく見守ってくれた全ての皆さま、本当にありがとうございました。これまで、果たして何人の人に支えられてきたんだろう?これからもよろしくお願いいたします。