[ことこと書日記 vol.17]木村弓・覚和歌子「いつも何度でも」より

ことことと、日々を煮込むように。
8月22日新月、寧月のことこと書日記第17回をお届けします。

8月。
夏の蒸し暑さに少年心を感じる一方、
この月の日本は、数々の追悼の儀式にお盆が重なって、
戦争、平和、いのちへの思いで、重く土に這うような雰囲気があります。

先祖のお墓参りに出向いては、
石に魂を見いだし、花を手向け、手を合わせる。
人間って不思議ですね。

そんな夏に、この歌を思い出しました。
宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」。

寧月書「いつも何度でも」

この歌の歌詞に目を向けたのは、
娘が生まれて間もない頃、子守唄として歌うようになったときです。

娘が寝付くまで、何度も何度も歌ううちに、
この歌詞のもつ、ファンタスティックでありながら真をついた世界観に、
魅了されていったのを覚えています。

「生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ」

人の生命。花の生命。風の生命。

人間の世界で生きていると、人間の生と死のことばかりで頭がいっぱいになりがちで、
でも、花も風も、その在り方は、みんなおなじなんですよね。

花は、自然は、死んではまた生まれ、何度も何度も、再生していく。
同じことの、ただただ繰り返し。

「繰り返すあやまちの そのたび人は ただ青い空の 青さを知る」

人間は、花のように、空のように、ただ繰り返す生命の中で、
ただ、花のように、空のように、生きていきたいと願ってやまず、
ただ、それだけのことができない。

「ゼロになるからだ 充たされてゆけ」

どうしたら、花のように、空のように、“ゼロ”になれるのだろうか。
私もそう、毎日、些細な怒りや嫉妬に邪魔されて、
私の頭をまっさらにすることができずにいます。

“ゼロ”になれたら、本当に充たされるからだを得られるのだろうと思いながら。
これって般若心教の「色即是空 空即是色」の世界と同じかもしれないですね。

ただただ、生きては死に、死んでは生まれていく花のように。
私が、人間が、この歌のような夢を見て生きていくことができますように。

8月、祈りを込めて。

 

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