私が書道と出会ったのは小学一年生の頃で、その頃は書くことが楽しいというより、友達と会って遊ぶ事が目的と言っても過言ではなく…。
「習字行ってくる」
と言って家を飛び出たはずなのに、友達と寄り道して山の中で遊び始めて、習字行く事忘れてしれっと帰宅して、親に怒られたり…。
近くのお店にお菓子買いに行って食べるのが目的になってるようなもので…遊びの一環としての書道でした。
中学生に上がったら、段を取ることが楽しくなったり、展覧会で賞をもらうのが嬉しくなり、書くことに死ぬほど没頭し始めました。朝から晩まで書くことに向き合ってた気がします。そんなこんなで高校三年までずっと続けた書道も高校を卒業し、親元を離れ都内の看護学校に入学してから、パタリと書くことから離れてしまいました。
看護師として働き始めて、毎日が地獄のように忙しくて、いつの間にか田舎者が都会の色に染まっちまった。
そんなある日ふと、
「あー…なんか墨の匂いまた嗅ぎたいな。」
と思い、どこか書道教室やってる所ないかなぁ。と携帯を駆使して調べまくったら、池上におしゃれな古民家でやってる書道教室あるやん!ってなって、体験に行ったのが先生との出会いの始まりで、書くことに再び出会えたきっかけになったのです。
書いてる時間だけは自分を「無」にさせてもらえて、やっぱり書くことは楽しいな〜と、改めて思う。
初めて作品展で書いたのは、空海の風信帖だったかな。空海の字は優しくて、私が一番好きな人。
次に曹全碑。これは相当書くのがしんどかったんですが、隷書の書体が可愛くて書いてみよーと思ったらどハマりして、始めて色のついた紙に金墨で書くという挑戦もしてみた作品でした。
そして、懐素の自叙帖。懐素は破天荒で、もともと大のお酒好きで、酔っ払うとそこらじゅうに書きまくるやばいやつだったらしいのに、こんなに綺麗な字書くなんて天才やん。って思った。そんな人の臨書しないわけにはいかないじゃん。(私もお酒が大好きなので笑)半切は体力消耗するけど、その分書き上げた時の達成感は気持ちが良いものだ。
コロナが流行り始めて少し書くことから遠ざかってしまっていたけれど、再開した時に書いたのは般若心経でした。
コロナで沢山の人が亡くなってきたのを目の当たりにし、人生の最後に、家族はもちろんその当事者も大事な人の顔も見れないままに火葬されて、誰に当たれる訳でもないやるせなさや、人工呼吸器が足りないから、今日必要になった時は誰に使うべきなのか。とかそういう究極論みたいな話までされていて、倫理的におかしい世の中だったなぁと思いました。今となっては終わりがいつ来るのか見えない世の中にウンザリしていたな…一生忘れないコロナウイルスめ!
今ある沢山の人達の命・人生も、勿論自分の人生も一日一日を大切にしないといけないなと思い、般若心経。この作品にしました。
そして今回は、百人一首!
ただ単に、ちはやふるというアニメが大好きだから。競技カルタのアニメ知ってる人居ます!?(私アニメ、ゲーム大好き。オタクなんで)本家はどんな字で百人一首を書いていたのだろうというのがきっかけでした。(安易笑)書いてみると難しい…
この歳まで、かなから遠ざかってきた私には繊細なラインが書けなくて、あーガサツっ!自分っ嫌!ってなったけど一応形になってよかったです。
私は、かーなーり自由な生徒なので、仕事で書けない時もあるのですが、いつも気長に見守ってくださる先生には感謝しかないです。
わちゃわちゃと、かわいい子供達の笑い声を聞きながら書く書道はわたしの癒しの空間であり、生涯の趣味です。
これからもよろしくお願い致します。
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千智さんへ
高校まで書道を続けられていた千智さんはすでに「書ける」生徒さん。であると同時に、自由奔放さを兼ね備え、「自由に書の道を進む」という書塾のコンセプトを牽引してくださった、ありがたい生徒さんです。
そんな千智さんが看護師さんだと知ったのはコロナ禍少し前だったかと思いますが、コロナ禍に入り、私はただ家に籠って行き交う情報の曖昧さに悶々とする中、千智さんが目にしている現場でのお話が、私の心を強くしてくださいました。たくさんの命を救ってくださり、ありがとうございます。
戻ってきてくれた千智さんは、以前と全く変わらず、子どもたちのおしゃべりに首を突っ込んでは一緒に笑ってくれています。千智さんの放つほわほわした空気感、副交感神経を働かせてくれる感じ。なかなか書塾に来られる時間もないのが残念ですが、これからも書塾を、たくさんの人をあたためてください。
寧月