「草枕」と私。


夏目漱石の「草枕」を読みました。

この「旅寝」を意味する言葉「草枕」に魅かれ、
昨年、「草枕」の書を製作した私ながら、
漱石の小説に「草枕」のあることになぜか結びつかずにおり、
先日、ふと思い出してこの本をとりだしました。

 

草枕

 

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

とても有名なこの冒頭のその先に、
「ああ」と思わせてくれる一節がありました。

 

住みにくさが高じると、安い所へ引っ越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
(中略)
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、
寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、
人の心を豊かにするが故に尊とい。

日本からヨーロッパに留学し、神経症を患い、
小説家になっていったという、夏目漱石。
どこの世も、人の創った世は、
同じように住みにくいと悟っての言葉でしょうか。

この言葉は、私に少なからず勇気をあたえてくれました。
「人の心を豊かにするが故に尊とい」、仕事ができるのなら。

 

この小説に貫かれているのは「非人情」というものの見方のようです。
なんでも、そこに起こっているものごとを、人の感情を含めずに、見る。
それは、仏教的、禅的なものの見方に通じるものがあります。

人はストーリーが好きです。
人生には、恋愛があり、出世があり、挫折があり、ドラマがある。
そんなストーリーは美しく、涙を誘い、笑顔を生みます。
私も、ドラマや物語りが大好きです。

でも、世の中に起こっている物事は、それ自体、
ストーリーとは無縁に浮き上がり、消えてゆきます。
物事の連なりを、物語りとして紡いだ途端に、消えてゆく何かがあります。
物語の美しさは、物事を一面的に捉えて抑揚をつけるからこそ、
生まれ来るのかもしれません。

インテリア書「草枕」

 

私も、三十を過ぎて、この境地に感じ入るところがあります。
人生のストーリーを語ることが、どこかおそろしいのです。
それが正しい訳でもなく、物語りが大好きな自分も相変わらずここにいるのですが。

 

最後に、この「草枕」のなかに、気になるフレーズがありました。

 

二十一世紀に睡眠が必要ならば・・・

 

昔ブログに少し書いたこともありますが、
二十一世紀には睡眠が必要だと思います。
みんな、もっと寝ましょう(笑)

私に栄養を与えてくれた「草枕」。
中高生のころに良く読んだ漱石。
今読むと、またきっと違うんだろうと思い、その奥深さを知りました。