パフォーマンス書道に見る「田植え」

「書道と身体」は、私の書道人生のひとつの命題だと思っている。
いずれ何らかの“身体技法としての書道”メソッドを確立していくことを目指し、
書きながら、学びながら、考えたことを、少しずつまとめていきたい。
さて、今回は、
「パフォーマンス書道に見る『田植え』」と題した。
パフォーマンス書道は、今ひとつの流行を見ている、
大きな筆をもって、人前で文字を書く、あの、書道ライブのことである。
女子高生の“書道甲子園”がテレビ中継されたこともあり、
今、若手書道家と呼ばれる方々も競って行っている。
しかし、パフォーマンス書道を見るとき、
多くの場合、紙は床に置かれ、見物客は完成まで、
その作品の全体像を把握することができない。
これは、「墨が垂れる」という物質的理由と同時に、
書道は、床に紙を置いて書くとき、最も身体を使って書くことができ、
「書きやすい」という理由による。
書道に熱中するとき、身体をもちいて書こうとすればするほど、
床に紙を置き、立って書きたい衝動に駆られる。
大きな作品であれば尚更、書道は、床に向かって、
前傾姿勢で書くことが、「自然体」なのである。
ここで、「田植え」を思い出してもらいたい。
田植えは、稲作文化を持つ日本の代表的労働であり、
日本人の身体をつくってきた作業である。
その「田植え」の姿勢が、パフォーマンス書道に、似ている。
パフォーマンス書道を見るとき、それはまるで、
「田植え」の様子を見ているようである。
「たたずまいの美学ー日本人の身体技法」(矢田部英正氏)によれば、
つま先に重心を置く前傾姿勢は稲作文化の民族に見られる固有の姿勢であり、
踵に重心をおく欧米文化からすると、この姿勢は、決して楽なものではない。
つまり、書道をするとき、
私たちは、いつのまにか、日本伝統の身体技法を思い出して、
書いているということなのだと思う。
日常的には、洋服を着てヒールを履いて、
かなり欧米化されたスタイルで生活していようと、
筆を持って、身体を使おうとするとき、
思い出すのは、「田植え」の姿勢。
それが私たちにとって、もっともバランスがよく、
うまい具合に力の入る姿勢なのである。
だからこそ、
パフォーマンス書道は、作品の完成を見ずして、
書いているだけで「日本らしさ」を感じるところがある。
「田植え」に似てちょっと地味だから、
音楽をつけたり、踊ったりしたくもなるけれど・・・
そんなことも意識して、私もいつか、
パフォーマンス書道をやってみたいな、と思っています。