[ことこと書日記 vol.01]ベートーヴェン交響曲第9番「合唱」より

ことことと、日々を煮込むように。
12月29日新月、寧月のことこと書日記第1回をお届けします。

最初のテーマに選びましたのは、ベートーヴェンの第九。年の瀬ですし。
第九に使われたシラーの詩「歓喜に寄す」のなかにし礼さんによる日本語訳を書いてみました。

 

「愛こそ歓喜にみちびく光」寧月書

「愛こそ歓喜にみちびく光」寧月書

第九の日本語訳はたくさんあるのですが、なかにし礼さんの訳のいいところは、
メロディにそのまま乗せて歌えるっていうところ。

愛こそ歓喜にみちびく光
さえぎる苦難を越えて進まん
歓喜の頂き踏みしめた時
我らは兄弟世界は一つ
(「歓喜の歌」なかにし礼より抜粋 出典:http://2011dai9.jimdo.com/日本語の第九歌詞/)

 

子どもの頃から第九には馴染みが深い私ですが、
先月ふと、「第九を聴きたい」と思ったとき、
でも、その感覚がすごく久しぶりで、「ああ、私、今、心が健康なんだ」って思ったんです。

 

第九って、子どもの頃はすんなりと受け入れられてたんだけど、
自分がちょっとでも「今自分は幸福じゃないかもしれない」っていうときには受け入れられない、
そういう過剰さみたいなものを含んでると思うんですよね。
だから、「聴きたい」って思って、「私今、幸せなんだ」って察知しちゃった(笑)
おかげさまで、2016年、私はとても幸せでした。

 

我らは兄弟世界は一つ

っていう、この主題が、この歌詞の核ですね。

 

すごく美しいテーマで、心から感動する自分もいると同時に、
心のどっか奥の方で、このテーマの過剰な崇高さを受け入れきれない自分も感じちゃったりする。

 

愛こそ歓喜にみちびく光

でも、シラーの詩に感動して、ベートーヴェンが命をかけて作ったこの音楽の計り知れないパワーには、
素直に感動できるんです。

 

人類に「すべての人類の心をひとつにする」という壮大な夢を抱かせる第九の力は、
孤高の芸術である書道をもってしては永遠に届くことのできない、
反対方向の人間性への挑戦という感じがして、尊敬してしまうのです。

 

今年も大晦日には日本各地で第九が流れるでしょうか。
みなさま、良いお年をお迎えくださいませ!

 

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