書は時空の旅なり。

私は、もともと、大の旅好きです。

学生の頃は、暇を見つけてはヨーロッパ、東南アジア、そして国内を、
時に1人で、時には友とともに、あちこち旅をしました。

社会人になってからも、毎日の生活に疲れてくると
「あー、そろそろ旅に出たい!」と思ってどこかへ、びゅーんと旅をしたものでした。

そんな私、先日、自分のパスポートの有効期限が切れていることに気づきました!
おお…、私もうそんなに海外に行っていなかったのね。

子どもを産んだから行けなくなって、というのが一番の理由であるものの、
それだけではなくて、最近思うに、私、旅欲求が衰退していると思うのです。

 

目の前に小さな紙を広げて、
昔の人が書いた書を左において、自分の手で真似してみる。

書道は、それだけのこと。

それだけのことなのですが、書道は、私にとって、旅です。

風信帖

臨書に励んでいる風信帖
 

今は、かの有名な空海(などと呼び捨てにするの憚られる弘法大師さま)が書いた、
「風信帖」という、日本書道史上最も重要といっても過言ではない、
古典の臨書に励んでいます。

この「風信帖」は、空海と最澄の往復書簡の一部と言われています。
最澄にあてた、空海からのお手紙なのです。

この書に向かう時、私は、
1000年前にある人がある人に宛てた、
そして、その後1000年人々によって大切に大切にされてきた、
一通の手紙に向き合っています。

空海の息づかい、思い、
延暦寺にいる最澄との親しさと隔たり。

1000年前の京都を思うに、山深い森と森を越えていくだろうこの手紙は、
平成の東京を生きる私に、さまざまなことを想像させてくれます。

そして、空海の文字には、唐の文化の、
王羲之からなる書道の歴史が表出し、
空海もまた、歴史の中に生きていることを感じさせてくれます。

 

書は時空の旅なり。

 

書に臨むとき、私はそう思います。
小さな家にいながらにして、遥か彼方へ、時空を超えて、
人は旅をすることができると、そんな風に思います。

 

今の私は、あんまり、海外旅行に行きたいという思いがなくて、
まだまだひたすらに、私には、書の旅が必要なのです。