幼い頃からおじいちゃん、おばあちゃん子と言われて育った私です。
4歳で、おじいちゃん、おばあちゃんと3人で旅行に行き、
小学校低学年の頃は、
毎週のように電車で二人のいる家に泊まりにいっていたように思います。
おじいちゃんは芋が好きで、電子レンジの登場に興奮していました。
おばあちゃんは、なぜか一緒におふろに入ってくれなくて、
いつも私は、ちょっと淋しく思っていました。
(のちに、おふろで髪を染めるからだということがわかりました)
祖父は、私が小学3年のときに亡くなりました。
祖母が今年、米寿を迎えることとなり、
お祝いとして、家族で、
祖母の88年をまとめたフォトブックを作ることにしました。
祖母は群馬の貧しい農家で育ち、
その人生は“おしん”そのものだ、と聞いたことがありました。
しかし、今回フォトブックの編集にあたり、
戦前・戦後を生きた祖母の人生を知りました。
5歳で父親を亡くし、弟たちの面倒を見ながら農家の手伝いをする。
小学校を出たのち、12歳で働きに出る。
工場で働いたころ、19歳で終戦。
20歳で結婚し、焼け跡の東京で所帯を持つ。
内職をしながら家計を助けつつ、3人の子どもを育てる。
夫の独立後は共に事業を助ける・・・
私の記憶にある祖父母は、小さいながらも堅調な会社を営んでいて、
いつも旅行に行き、小さくともいくつかの土地を持ち、
不自由がないという以上の豊かな暮らしを送っていました。
そんな祖母は、私が幼い頃も、今も、
とにかく、子どもや孫に、ひ孫に、「与える」ことばかり考えています。
自分が「与えられる」ことには、全く慣れていなくて、断固拒否。
人のために、何かしよう、何かしよう、と常にそればかり。
苦しい経験をしてきたからこそ、強く、優しく、人に与えることができる。
祖母の姿からは、そんなことを感じずにはいられません。
ふと、「社会が豊かになると虐待が起きる」、
という誰かの言葉が頭をよぎりました。
子どもをおんぶしながら内職をし続けた祖母。
社会のありようは今とは異なるでしょうが、
保育園に入れないことに不満を感じている自分を、情けなく思いました。
そんな祖母も、元気なように見えて、認知症が始まっています。
高度経済成長を支えた世代の苦労について、
もっと話を聴いておきたいと感じています。
88歳のお祝いのフォトブックづくりは、なかなかおすすめです。
人生の教科書になりそうだなぁ。