2013年の終わりに—「八重の桜」を胸に、前へ進もう。


2013年も、あと3日となりました。
今年の終わりに、
大河ドラマ「八重の桜」について書き残しておきたいと思います。

私の世代には珍しく大河ドラマloverの私ですが、
今年は、これまでになく熱心に、「八重の桜」を拝見させていただきました。
というのも、「八重の桜」には、私的共感ポイントがい~っぱいあるのです。

実は、私は福島の血が流れているという話は、以前のブログで取り上げました。

今日は、「八重の桜」の一年を振り返り、
私の魅かれたポイントを3つ、まとめてみます。

①「義」の美しさと危険性
幕末、京都守護職としてはるばるやってきた松平容保と会津藩士たち。
その職務が危険と理解しながら引き受けたのは、
ひとえに朝廷と幕府への「義」を貫くためであった…
この「義」の美しさは、このドラマのひとつのメインテーマでした。

「義」を貫く会津藩士のまっすぐさに涙する場面がたくさんありました。
しかしながら「義は美しい」というだけが語られたわけではありませんでした。

「薩長にも、会津にも義はあったのではないか」
最後に、山本覚馬氏の放った言葉は、
どんなときも、物事を片面から見てはならないことを
穏やかにも強く伝えていました。

人は誰しも優しくありたいと願っているものです。
しかし、そんな優しくありたいと願う人も、時に暴力を使うことがあります。

それは、自分には「義」がある、と思い、
その暴力を「義」のもとに正当化してしまうときのように思います。
「義」を語る限り、争いは続く…では、争わないためにはどうしたらいいのか?
「八重の桜」が投げかけてくれた問いに、学ぶことは多いです。

②学ぶことの大切さ
さて、そんな八重の桜の特に後半部、新島襄氏が登場してからのテーマは、
教育、学ぶことの大切さ、でした。

新島襄氏は、ここで語るまでもなく同志社大学の設立者でいらっしゃり、
「八重の桜」も教育がテーマであることは想像されますが、
ここで、新島襄氏が、明治の黎明期においてすばらしかったのは、
あくまでも、
「教育は国のためではなく、ひとりひとりの幸せのためである」
というスタンスを守り抜いていた、ということだと思います。

「争いを避けるにはどうすればいいのか?」という前項の問いにも、
覚馬氏、そして八重さんは、「学ぶことがひとつの道である」として、
自身も学び、人々にも教育を進めていきました。

学ぶこと、学ぶことによって強くなること、
強くなって、弱きものに手を差し伸べられるようになること。

私自身も、そんな人物像を目指して、
あらためて、学びの道を志したいと思いました。

③女子よ、自分の道は自分で切り開け!
そして、何より私がこの物語りに魅かれたのは、
やはり、新島八重さんという人が、世の中の常識にとらわれず、
自分の信じる道をまっすぐに進み、切り開いていったというところでした。

女でありながら鉄砲を持って戦い、
信じた人の信じるキリスト教を信じ、
身近な人の幸福と世の平和のために恥じることなく挑んでいくその姿には、
同じ女性として、見ていてとってもかっこよかった。

同時に、そんな八重さんをいつも信じて見守っている、
母・佐久さんも、母として見習いたいと思いました。
周りの環境がどうであろうと、受け入れ、肯定し、
自らはひたすらに、何度でも何度でも、咲く。

自分の境遇に文句など言わず、
私も、ひたすらに前を向いていく女でありたいです。

______
そんなこんなで、今年は「八重の桜」に何度も勇気づけられました。
素晴らしい作品を作ってくださった方々、本当にありがとうございました!
NHK大河ドラマはすばらしい、と私は思っています。
来年も楽しみにしています。

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